所沢三田会 | 投 稿 作 品 | Tokorozawa Mitakai |
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2014年3月15日、25年間住み慣れた所沢から札幌移住のため妻と娘の3人で引っ越しをしました。 引っ越し当日はぽかぽか陽気で、作業ははかどり引っ越し完了予定時間より2時間近く早く終わりました札幌へは飛行機を使わず、自家用車ごと新潟発苫小牧着のフェリーで移動しました。 フェリーといえば韓国のセウィル号沈没事故を連想しますが、もし私たちの引っ越し前に起こった事故であれば、たぶんフェリーを利用することをためらったかもしれません。 改めて私たちが乗った北日本海フェリーとセウィル号を比較してみました。 北日本海フェリーの総トン数は16810トン、全長224m、旅客定員746名、車両積載台数はトラック158台・乗用車66台、対するセウィル号はそれぞれ6825トン、147m、960人、60台、88です。 おおざっぱにいえばセウィル号は北日本海フェリーより総トン数で1万トン小さく、その割にセオル号のほうが旅客定員が200名以上多い。セウィル号は二回りくらい小さな船に人や車を詰め込みすぎという印象です。 私たちの乗ったフェリーは新潟港から18時間かけて苫小牧港に着岸したのですが、その間、船体は左右にゆっくり、大きく揺れ続け客室通路を歩いていると背中をとんと押されたように前につんのめるほどです。船内の大浴場の湯船は船の揺れに呼応して大きな波を立てていました。 苫小牧港に着いたのが早朝4時半、前日に降り積もった雪と真っ暗な市内は寒々としていました。 雪道を車で走った経験が皆無の私はスリップを怖れ、おっかなびっくり、へっぴり腰状態で運転しました。おそらく道内ナンバーの車は迷惑な車が走っていると思ったことでした。 それでもカーナビという便利なもののおかげで苫小牧港からちょうど2時間で札幌市内の新居に無事到着しました。高速道路は除雪・融雪されていて時速80km走行で何ら問題はありません。ただ一般道はいたるところスケートリンク状態で、発進時に必ずタイヤが空回りするのには閉口しました。 しかし本当に閉口したのは翌日午前から始まった荷物の搬入と部屋の片づけでした。何しろJR貨物のコンテナ2台分の大荷物を何とか算段してクロゼットや納戸に収納するのですから至難の業です。荷物のかたづけが終わり人間らしい文化的居住空間に要した期間はほぼ1か月。 4月も半ばごろになると日中は20度を超える日も出てきて自宅からほど近い中島公園、藻岩山山頂、円山公園、大通公園、豊平川サイクリングロードなど近場を中心に自転車で散策するようになりました。気持ち的にも時間的にも余裕ができたためです。気候のよくなるこれから秋にかけては日帰り旅行、2〜3泊の小旅行を楽しむ予定です。またこれからの1年間は気候や生活サイクルになれることを主眼にして、特に厳しく長い冬の過ごし方を学ぼうと思っています。 札幌移住2か月で気づいたことがいくつかあります。 この間3度ほどテレビ画面に「緊急地震速報」が飛び込んできました。それが「震度1」の情報です。「震度4」程度は短期間に何度も経験してきた人としては「うん?」という感じです。地震国日本ですから北海道も例外ではなく、過去に十勝沖地震など大きな地震が起きましたが、震度3〜4程度の地震発生頻度は相当低いような感じです。 札幌の街を歩いていると目につくのが喫茶店の多さです。それもスタバーやドトールといったチェーン店は少なく、圧倒的に多いのが住居兼用の個人経営のお店です。県庁所在地、政令指定都市のなかで札幌市はコーヒーの家庭消費量は第3位です。ちなみに全国1位は鳥取市と知ってその意外性に驚きました。(鳥取出身の人は気分を害するかもしれません) また気づいたのはどの信号機も縦型です。これは雪が降り積もる面積が小さな縦型が有効だからだそうです。雪と関連しますが戸建て住宅に雨戸がありません。積雪で窓がおおわれ、雨戸が開かなくなるからです。 道路が広く市内の主要道路でもほとんど渋滞がない、鶏のから揚げを「ザンギ」と呼ぶなどこれからも様々な小さな発見があるでしょう。 私は55歳で早期退職し、65歳までの10年間はいわば第二の人生でNPOを立ち上げ、それなりの活動実績を残すことができました。そしてこれからの10年は第3の人生と位置づけ札幌という新しい土地で新しい人生を送ることになります。何ができるのか、何をするのかはこれから時間をかけてゆっくり模索するつもりです。 口さがない親しい友人は寒さに耐えきれずそのうち舞い戻ってくるさ、と毒づいています。さてどのようになるのかは私自身もよくわかりません。なるようにしかならない、それが私の本音です。
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